こんにちは。公益社団法人日本バリュー・エンジニアリング協会事務局の(ゆ)です。
この4月に、新入学生、あるいは新社会人として新しい門出を迎えた方々も多いと思いますが、新しい生活には慣れましたでしょうか?
まったくの私事で恐縮ですが、先日、姪(主人の兄の長女)の結婚式に列席しました。
結婚式や披露宴の機能や意味を考えた時、結婚して家庭を築くことを神仏に誓ったり、結婚したことを回りの方々に知らせたりすることがあると思うのですが、出席する方々の目的は二人の新しい「門出」を祝うことではないかと思います。
年齢を重ねると、どうしても仏事の方が多くなり、結婚式は本当に久しぶりで、その様変りには隔世の感もありました。お仲人さんがいない結婚式というのは今や珍しくないようで、私も初めてではなかったのですが、かつてのハデ婚から、ジミ婚を経て、式や披露宴をしないケースも増えているそうです。
式や披露宴にお金を使うより実生活の方に使いたいという人達も多いと思いますが(一種のVE?)、生まれた時から大人になるまで、その成長を見てきている親族にとっては、幸せそうな新郎新婦の晴れやかな姿というのは、時間の流れを実感させられると同時に幸せのおすそわけをしてもらえるものだと思います。
姪とは時々しか会えなかった叔母の私でさえ感激するのですから、新郎新婦の両親や祖父母の感慨というのはより深いものだと思います(そういえば、私の母は私の結婚式の最後に号泣していたのを思い出します)。
ただ、一方で、姪の祖父母(主人の両親)は人の何倍もあるお祝いの気持ちとは裏腹に、高齢(二人合せて180歳!)で体が思うようには動かないので、果して長時間にわたる結婚式や披露宴に出席できるかどうかと家族共々直前まで気を揉みました。結局、両親の家のある千葉から東京の結婚式会場へはタクシーで往復、前日から会場となるホテルに宿泊することになりました。
当日は、来月に92歳になる義父は車椅子で、88歳の義母も杖のお世話になりながらも列席することができました。特に、義父はフルコースの食事もほとんど残さず、突然のスピーチの指名にも臆せずに立って堂々とお祝いの言葉を述べ、身内を褒めるのもおかしいのですが、すごいなあと感心してしまいました(一つだけ「冥土の土産」という言葉に、後で義母からダメだしが出ていましたが、初孫でもある姪への愛情が溢れていたので、私はまったく気になりませんでした)。
もちろん、主人の両親だけでなく、結婚式や披露宴というのは、若い二人の門出を祝う親族やお友達や会社の同僚の方々の温かい気持ちが溢れていて素敵だなあと改めて感じましたし、お金には代えられない価値があるように思いました。
こういう祝福の気持ちは今も昔も変らないと思うのですが、隔世の感があるなあと思ったことが二つありました。二つとも「おもてなし」の気持ちがこもっていて、結婚式や披露宴の「価値」をあげるものでしたが、何があったのかは次回のブログに持ち越させていただきます。
では、よい週末をお過ごしくださいませ。 (ゆ)