伝統を受け継ぐ(8)  (ゆ)  No.295

こんにちは。公益社団法人日本バリュー・エンジニアリング協会事務局の(ゆ)です。

2月20日に北京冬季五輪が閉幕しましたね。日本のメダルの獲得数は冬季としては最多の18(金3、銀6、銅9)個だったそうです。ただ、メダルを取っても取らなくても、輪になって肩を抱きながら勝った喜びを分かち合ったり、負けてもその健闘を称えて抱き合っている各国の代表選手達の姿はとても感動的で、画面からも彼らの喜びや悔しさが伝わってくるようでした。

令和時代のパンデミックの中、昨年の夏の日本と同様に感染対策に留意しながら五輪を開催して感動を伝えてくれた中国ですが、奈良時代には「梅」の花も伝えてくれたそうです。日本の伝統行事の一つでもある「お花見」は「桜」のイメージが強いですが、当時の貴族が好んだこの梅のお花見が始まりだったとか。起源は諸説があるそうですが、決して桜が好まれていなかった訳ではなく、当時の日本人にとって桜は神聖な木として扱われていたからだそうです。

Japanese allspice  2022.2  photo by T.S.

上の写真は、当会の元・会員の方が送ってくださった「蝋梅」です。たまたま枝が「VE」の「V」の字にもピースサインのようにも見えて、気持ちも明るくなるような気がします。蝋梅はロウ細工のような黄色い花を咲かせる、中国原産の落葉低木で、中国では、梅、水仙、椿と共に「雪中の四花」として尊ばれているとか。江戸時代に日本へ渡来し、香りのよい花が愛され、生け花や茶花、庭木として利用されてきたそうです。

梅と同様に中国から伝来したものには「お茶」もあります。平安時代に遣唐使が持ち帰った当時のお茶は「病気を治療する」という機能を持つ漢方薬の扱いで、味も美味しくなく、特権階級だけの所有物だったそうです。鎌倉時代に中国へ留学した栄西禅師が臨済禅と共に抹茶法を伝え、ただお茶を飲むだけでなく、一定の場所に集まり茶会を開き、作法や道具にこだわり始めたことが「茶道」のルーツだとか。

安土桃山時代に千利休らが茶の湯の文化を広め、江戸時代になると、流派が増えて、茶の湯が茶道と呼ばれ始めたそうです。お茶の木を育てて収穫し、お茶を飲む習慣は中国が発祥ですが、抹茶を点てて振舞う形式を確立した国は日本で、茶道は日本独自の伝統の芸道だとか。そして、『上の地位に立つためにはまず茶道を習え』と言われたほど、政界人や財界人にとって茶道の心得は必須事項だったそうです。

歌舞伎や相撲と同様に、男性だけのものであった茶道は、明治時代になり良家の女子が通う学校の教養科目として組み込まれ、その後、茶道は「Tea Ceremony」として海外でも知られていくことになったそうです。昭和時代になると、茶道という習い事に自立志向が強い現代女性が注目し始め、現代では学校にも茶道クラブ等があり、茶道界は男性中心ではなくなり、今や女性達が茶道という日本の伝統文化を守り伝えていると言っても過言ではないとか。

VEの理想形かもしれない(?)無駄なものを一切省いた空間である茶室で、抹茶と厳選されたお菓子、茶碗、掛け物、花入れ、茶花などの取り合わせと会話、そして非日常の世界を気軽に楽しめるのも茶道の醍醐味だそうです。狭い空間ながら、そこには日本の伝統が受け継がれてきた品々やお作法等がぎゅっと凝縮されているように思います。

私の伯母が茶道の先生だったので、10年間ほど教えてもらう機会がありました。当時は、木炭が時折パチッと爆ぜる音や、お釜からシュンシュンと沸くお湯の音だけしかしない静謐さの中、お茶を点てることに集中することにより頭の中の雑念が払われていく感じが好きでした。そういう所も、中国から伝来して以来の長い歴史の中で、時代と共にその形を変えながらも永続してきた茶道の魅力の一つだと思います。

VEもアメリカから伝来した管理技法ですが、日本の各企業・団体におかれては、基本に則りながら工夫を加えて独自の技法として活用されている所も少なくないと思います。伝統を受け継ぎながらも少しずつ形を変えて永続している茶道のように、VE技法が伝統技法として受け継がれると同時に新しい工夫を加えられて今後共永続していってくれることを願って止みません。

では、よい週末をお過ごしくださいませ。 (ゆ)

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