こんにちは。公益社団法人日本バリュー・エンジニアリング協会事務局の(ゆ)です。
前回までのブログで書いてきた「執着を手放す」ですが、「断捨離」という言葉も出てきました。これは仏教・ヨガ修業用語の「断行・捨行・離行」で、本来は、物品ではなく、心の内にある、「邪念・邪心・欲望」などを断じて、捨てて離す事で「清い心にする」事だそうです。欲張って、余計なものを持たないということだけを言っているのではなく、清い心を手に入れるための手段だそうです。
「執着を手放す事」は「邪念・邪心・欲望を断捨離する事」と意味合いは同じだと思いますので、たとえ道のりは遠くても、最終的には清い心を手に入れられるかもしれません。今まで偉そうに書いてきた「執着を手放す事」ですが、私にとっては言うほど簡単ではなくいまだに苦手なので、自分に言い聞かせる意味でも書いてきた次第です。
実は、かつての私には「執着を手放す事」以上に苦手なものがありました。「歌う事」です。他の人が音程をはずしているのは少しだけ分るものの、自分の歌の音程がはずれている事はよく分りません。
まだカラオケボックスなどなかった遠い昔、カラオケのあるスナックで、歌いたくないのに歌わされるのが本当に苦痛でした。上手ならまだしも、たまたまお店に居合わせたお客さん達にまで、下手な歌を披露する事になってしまうのが心苦しかったものです。
もうかなり前の事ですが、家で台所仕事をしながら気分よく鼻歌を歌っていたら、主人が冗談ではなく真剣に怒りだした事があります。 『ぬかみその腐るレベルを通り越して、気分が悪くなるから鼻歌をやめろ!』と言うのです。更に、『外で歌うのは人様の迷惑になるからカラオケも禁止!』と、カラオケ禁止令まで発令されました。
子供の頃、同じように私の母が台所で歌っていた鼻歌がお経(?)のようだったので遺伝かもしれません。が、この罵声のような苦言を素直に聞いて、一生、歌う事を封じ込めるか、それともこれを契機にして苦手な事を克服するか。この時、私が選んだのは後者でした。
歌がプロ並みに上手な同僚がいて、彼女がとても楽しそうに歌っていた姿を見ていた事も大きかったと思います。たとえ上手ではなくても楽しく歌えるようになれたら、苦痛から開放されるのではないかと思いました。まずは、VEのステップ同様、情報収集からという事で、歌の上手な同僚達にアドバイスを求めた所、『口を大きく開けて大きな声で歌うといい』との事でした。
口は元々大きいので、あとはひたすら大きな声で反復練習をしようと思っていた頃、VE関係者の方々とカラオケに行く機会がありました。そこで、私の歌を耳にしたある方から、私の歌には『(音程だけでなく)○○がない』、と指摘されました。それを聞いた私はがっくりとしてしまったのですが、○○ってなんだと思われますか? 長くなりますので、次回にさせていただきます。
では、よい週末をお過ごしくださいませ。 (ゆ)
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