こんにちは。公益社団法人日本バリュー・エンジニアリング協会事務局の(ゆ)です。
先月、小学校の同窓会が開催され、卒業以来、初めて会う同級生との再会もありました。当日、たまたま展覧会を開催していた母校の小学校の見学にも有志で行けたのですが、在校当時の校舎や体育館もまだ残っていて、同じ教室の小さな机に座った皆が心から嬉しそうに笑っている写真まで現在の副校長先生に撮っていただき、本当に懐かしかったです。
私は当日、各自が将来の夢についても書いてある卒業文集を持っていったのですが、「お医者さん」や「警察官」になりたいという小学生当時の夢を、それぞれが頑張って資格を取り実現させた同級生達もいたので、「三つ子の魂百まで」というのはあるんですね。私の夢は「先生になる事」でした。
その夢は途中までは順調に行って、中学・高校の英語教師のお免状だけはいただいたのですが、教育実習を経験してみて「私には難しいかな」と思ったきっかけは、ある生徒の言葉でした。受け持ったのは中学校2年生の3クラスでしたが、ある大人びた女子生徒から『先生は学生言葉が抜けませんね』と言われたんです。学生言葉ならまだしも、『発音が違いますね』などと帰国子女の生徒から指摘などされようものなら立ち直れない気がしました。
そしてもう一つ、生徒達に「授業の感想」を書いてもらったのですが、今でも忘れない感想があります。「授業」についてお願いしているのになぜか「私の外見」についての感想が、ある男子生徒から返ってきて、『朝礼で紹介されて遠くから見た時は「おっ!」と思ったけど、近くで見るとそうでもない。まっ、普通ですね』と書いてありました。
ブログ№89(広告を研究する(4))でも書いた「遠目美人」を証言するかのような感想ですが、「肝心な授業内容よりもこういう所でも評価されるなんて割に合わないなあ」と思いました。ただ、その頃、コンプレックスを抱えていた私は、一方で、「近くでがっかりさせちゃって悪かったけど、普通なんだ。良かった」と変に安心もさせてもらったので、よく覚えています。
いずれにしても、ある意味、大人よりストレートな生徒達の言葉を正面から受けすぎて心が折れているような精神の脆弱さがあっては、長い間やっていくのは難しいと思いました。
それから、3クラスの授業を担当したのですが、同じ事を教えていても、手応えが違うというかクラスと自分との相性ってあるのだなと思いました。さらに、上手な力の抜き方を知っていればまだしも、やろうと思えばどこまでも際限のない仕事ですし、1年間の間とはいえ、40人以上の生徒の人生の一部を抱えるという事が重圧に感じられて断念しました。
近頃は生徒さんだけでなく、生徒の親御さんたちとの人間関係もあって、うつ病になってしまう先生もおられるようですし、心身ともに大変な仕事だったのだなあと、同窓会にいらしてくださった先生方に改めて感謝したい気持ちになりました。
ただ、小学校の同窓会では、必ずと言っていいほど学芸会の話が出てきますが、その配役にも『ひいきが存在していたのでは?』とか、他にも『美人のお母さんには態度が違った』といった話で二次会は盛り上がっていました。先生方も神様ではなく人間ですから、ある程度は仕方がないと思うのですが、まあ、それはそれは事細かに覚えている人もいて、年端のいかない子供でも、見てないようでいて見ている場合もあり、侮れないものですね。
10月は高校、11月は小学校と同窓会が続きましたが、12月は忘年会シーズンでもあります。趣味のヨガサークルの50人ほどが参加する忘年会でスタジオごとの出し物があるという事で、私はとんでもない扮装をする事になってしまいました。ヨガの先生と顔を合せる度に『イヤです~』と言い続けるほど抵抗があったその扮装が何だったのかは、長くなりますので次回にさせていただきます。
では、よい週末をお過ごしくださいませ。 (ゆ)
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